歌野晶午「世界の終わり、あるいは始まり」
- 作者: 歌野晶午
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2006/10/01
- メディア: 文庫
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もう、4年もたったんだよなあ。この作品の問題提起は最近の状況からいって、ますますリアルに感じられるだろうか。
ちょっと回想。
僕の高校時代の図書室の話。
単行本は高校の図書室で読んだ。
昼休みの図書室はひどいものだった。
僕の高校は図書室を正規の目的で利用する人はあまりいなかった。
本を読まずに友達と騒いでいるやつが大半で、図書室は静寂が支配した、クラスになじめないやつが見つける、ていのいい居場所ではなかった。
そんな中で一番読まれ、蔵書が多かった(なんと大きな棚2つ分ぐらい、数百冊はあったような)のがライトノベルで、たしか当時はブギーポップやキノが多く読まれていたように思う。
図書室に本を借りに来ているやつは、ライトノベルばかり借りていて、その棚はいつも盛況だった。
机に座ってでかい声でしゃべるやつが中央の机に陣取り、本を読んでいるやつはぽつぽつと隅に座っていた。
ミステリオタでライトノベルを読まない自分は、隅に座り、勉強をしつつ、でかい声を出しているやつは「うるさいだまれ」と思い(思っているだけだ、行動なんてできやしない)、ライトノベルの話をぼそぼそ語り合っているやつをすこし羨ましいなと思い、見ていた。
ミステリを読むやつ(というかライトノベル以外の本を読みやつ)は僕の高校にはいないようだった。本の裏についている貸し出しカードを見てみると、ライトノベルはカードが2枚・3枚くっついているのが当たり前だけれど、その他の本(ミステリや純文学、古典、学術全部)は僕を含め1人か2人という有様。京極夏彦でさえそんなもんだった。
有栖川有栖の蔵書は多く、よく読まれていて、すこしは話があう人もこの高校にいるのかと期待した。
でも、そんな人はいないことがわかった。
文化祭の時の文芸部の出し物が「アレ」なもので、どうやら有栖川有栖はそれの餌食になっているようだった。
そんな図書室事情であったから僕が出す本のリクエストはすんなり通った。
今日買った本の単行本も、その中の一冊だ。
もちろん、僕以外にこの本を読んだ人はいなかった。
[追記]2006年11月11日読了。